
竹田城跡
竹田城迹 · 兵庫県・朝来市(和田山町)
標高約353メートルの山頂に残る石垣群で、曲輪が三つの尾根に沿って幾重にも広がります。しばしば雲の上に姿を現すことから「日本のマチュピチュ」と呼ばれています。
出かける前に · Know before you go
- 石垣に登ること
- 立入禁止区域に入ること
- 山にごみを捨てること
この記事は「未確認」です。料金・営業時間・日程は公式の発表をご確認ください。
物語と人物
物語と人物
史実
山名と赤松の争いの中で築かれた山城
1441年、将軍足利義教が赤松氏に暗殺され、山名氏と赤松氏は戦いに入りました。竹田城はこのころ築かれたとされ、生野銀山を守るとともに、赤松氏の播磨と山名氏の但馬との国境を固める役目を担いました。1468年には太田垣光景が山名勢を率いて竹田城から出陣し、細川氏の大軍を破りました。
出典:ウィキペディア:竹田城
史実
最後の城主・赤松広秀
秀吉の死後、赤松広秀ははじめ豊臣方につきましたが、関ヶ原の戦いのあと徳川家康に従いました。鳥取城攻めを命じられた広秀は、包囲の際に城下町に火を放ったと咎められ、切腹を命じられました。竹田城はこのとき破却されましたが、土台と石垣は比較的よく残されました。
出典:ウィキペディア:竹田城
文化
文化と習慣
文化的な背景
竹田城跡は兵庫県北部、朝来市和田山町の山頂にあり、姫路の北に位置し、標高は約353メートルです。丹波から因幡へ向かう山陰道と、南の播磨・瀬戸内海へ向かう道が交わる要地を押さえ、室町時代に日本有数の銀山であった生野銀山にも近い場所です。 竹田城は1441年ごろ、山名宗全の家臣である太田垣光景が築いたと伝えられますが、詳しいことはわかっておらず、この年代も確かではありません。豊臣秀吉が但馬を平定したのち、城主の赤松広秀が城を大きく改修しました。山頂から三方の尾根に延び、自然の地形を生かして曲輪を連ねる基本の縄張りはそのままに、石垣と空堀を加えています。 城は戦国時代の終わりに破却され、城の土台と石垣だけが残りました。1943年から国の史跡に指定され、2006年には日本100名城に選ばれています。城跡がしばしば雲の上に浮かぶことから人気の観光地となり、地元では「日本のマチュピチュ」と呼ばれ、「天空の城」と呼ぶ人もいます。
地元の習慣
城跡の歩道をたどって山頂へ登り、石垣や三つの尾根に広がる曲輪の配置を見学できます。雲海の出た早朝には、谷を挟んだ向かいの高台から雲の上に浮かぶ城跡を眺められます。近くの生野銀山一帯にも足をのばせます。春の桜や秋の紅葉の季節には、山の彩りを楽しみながら登城できます。
マナーとタブー
マナーとタブー
してはいけないこと DON'T
- 石垣に登ること
- 立入禁止区域に入ること
- 山にごみを捨てること
地元の人に喜ばれること DO
- 指定された歩道を歩くこと
- 早朝に雲海を見るときは足元に気をつけ、防寒をすること
- ごみは山から持ち帰ること
- 撮影は公開されている区域内で行うこと
旅の計画
実用情報
旅のヒント
- JR西日本播但線の竹田駅から城跡までは歩いて約60分で、山道はとても急ですので、歩きやすい靴でお出かけください。地元のバスを利用して歩く距離を短くすることもでき、運行や公開の予定は公式発表をご確認ください。雲海は毎日現れるわけではなく、主に早朝に発生し、見られるかどうかはその日の天候しだいです。
- 春の桜、秋の紅葉はいずれも登城に適した季節です。夏は暑さ対策をし、こまめに水分をとってください。姫路方面からは播但線で北へ向かいます。
写真



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