
松江城
松江城 · 島根県・松江市
山陰地方で唯一の現存天守で、国宝五城の一つです。黒い木造の天守から宍道湖を望み、堀川遊覧船が外堀を巡ります。
出かける前に · Know before you go
- 木造の天守内で走ったり押し合ったりすること
- 神社の境内で騒ぐこと
この記事は「未確認」です。料金・営業時間・日程は公式の発表をご確認ください。
物語と人物
物語と人物
史実
買い戻された天守
明治初年の廃城後、松江城の天守は一時売却され、取り壊しの危機にさらされました。地元の豪農勝部本右衛門と旧藩士高城権八(高木権八とする資料もあります)が同額の金を国に納めて天守を買い戻しました。こうして天守は取り壊しを免れ、今日まで残っています。
史実
祈祷札と国宝指定
2012年、松江神社で「慶長拾六年正月吉祥日」と書かれた祈祷札が見つかり、天守が1611年初めに完成したことが裏付けられました。この発見が、2015年7月8日の国宝指定の決め手となりました。
伝説
人柱伝説
築城の際、天守台の石垣が何度築いても崩れたため、盆踊りで最も美しく踊りの上手な少女を選んで人柱にしたと伝えられています。虚無僧が自ら人柱になったという別の話もあります。伝説では、その後城主の父子が相次いで急死して堀尾家が改易となり、京極家も断絶したのは少女の怨念のためとされ、松平氏の入城まで天守からすすり泣きが聞こえたといいます。また、城が揺れるという言い伝えから、城下では盆踊りをしなかったとされます。これらはいずれも伝説です。
出典:ウィキペディア:松江城
文化
文化と習慣
文化的な背景
松江城は島根県松江市殿町の城山一帯にあり、別名を「千鳥城」といいます。山陰地方で唯一の現存天守で、天守が国宝に指定されている五城の一つです(ほかに犬山、松本、彦根、姫路)。木造の天守は複合式望楼型で、外観は4重、内部は5階、地下1階です。初重と二重の外壁は黒塗りの下見板張り、三重と四重の上部は漆喰塗りで、石垣には「牛蒡積み」の技法が用いられています。天守からは宍道湖を眺めることができ、城内は日本さくら名所100選に選ばれ、堀川遊覧船が外堀を巡っています。 1607年に堀尾氏が亀田山で築城に着手し、1611年初めにおおむね完成しました。堀尾氏の後は京極忠高が短期間治め、1638年からは松平直政とその子孫が藩主を務めました。明治初年の廃城後、天守は一時売却されて取り壊しの危機にさらされましたが、地元の豪農勝部本右衛門と旧藩士高城権八(高木権八とする資料もあります)が資金を出して買い戻しました。1950年から1955年にかけて解体修理が行われました。2012年に松江神社で「慶長拾六年正月吉祥日」と書かれた祈祷札が見つかって完成時期が裏付けられ、天守は2015年7月8日に国宝に指定されました。 「千鳥城」の名は、天守の屋根の形に由来するという説があります。『正保城絵図』によれば、当時の天守には二重目と三重目に千鳥破風があり、現在の姿とは異なっていました。
地元の習慣
天守に上って木造の構造を見学し、最上階から宍道湖と松江市街を眺めることができます。堀川遊覧船に乗れば外堀を一周できます(全長約3.7キロメートル、約50分。乗船場と運航は公式発表をご確認ください)。あわせて城山公園、松江歴史館、武家屋敷、塩見縄手一帯の小泉八雲旧居と記念館を訪ねるのもおすすめです。
マナーとタブー
マナーとタブー
してはいけないこと DON'T
- 木造の天守内で走ったり押し合ったりすること
- 神社の境内で騒ぐこと
地元の人に喜ばれること DO
- 天守内では靴を脱いで袋に入れて持ち歩くこと
- 歩きやすい靴で訪れること
- 階段では手すりを持ち足元に注意すること
- 撮影と飲食の規定を守ること
- 神社の境内では参拝の作法を守ること
旅の計画
実用情報
旅のヒント
- 天守では2027年6月から2030年12月まで大規模な保存修理が予定されており、その間は合計約8か月登閣できません。日程は変更される場合がありますので、事前に公式発表で公開範囲と料金をご確認ください。城山公園と堀川遊覧船は天守とあわせて巡ることができます。
- JR松江駅から一畑バスまたは市バスで約10分、「国宝松江城(大手前)」または「県庁前」で降り、徒歩約5〜10分です。一畑電車の松江しんじ湖温泉駅からはバスで約5分です。春の桜と秋の城山はどちらもおすすめで、冬は雪の中の黒と白のコントラストが見どころです。水燈路などの季節行事の日程は公式発表をご確認ください。

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