
都市ガイド · Kraków
クラクフ
ポーランドの古都:中央市場広場、ヴァヴェル城、カジミエシュ
クラクフはポーランド第 2 の都市で、ポーランド史上最も古い王都の一つです。旧市街とヴァヴェル丘一帯には、ヨーロッパ最大の中世広場、ゴシック様式の教会、王城が集まり、1978 年には旧市街とともに世界遺産の第 1 回登録名簿に入りました。2〜3 日かけてゆっくり歩けば、王室の戴冠の道、大学都市の活力、カジミエシュのユダヤ人地区の活気を感じることができ、ヴィエリチカ岩塩坑やザコパネへ日帰り旅行に出ることもできます。 市内では、ほかに織物会館、聖母聖殿、ヴァヴェル大聖堂、聖フロリアン門、バルバカン、聖ペテロ聖パウロ教会、聖アンドレイ教会、ヤギェウォ大学旧学院、カジミエシュのユダヤ人地区、旧ユダヤ会堂、聖フランシスコ大聖堂、植物園、ヴィスワ川畔の遊歩道も訪ねる価値があります。
歴史
街の成り立ち
クラクフはヴィスワ川沿いに位置し、ヴァヴェル丘の集落は中世初期にはすでに地域の中心となっていました。1038 年にクラクフはピャスト朝君主の駐在地となり、1257 年に都市特許状を獲得して、旧市街は碁盤目状に再建されました。14 世紀のカジミェシュ 3 世の統治期に都市は最盛期を迎え、1364 年に創設されたヤギェウォ大学は中欧最古の大学の一つです。1320 年からはポーランド国王がヴァヴェル大聖堂で戴冠し、クラクフは長く王都でしたが、1596 年にジグムント 3 世が宮廷をワルシャワへ移しました。1795 年の第 3 回ポーランド分割の後、都市はオーストリアに属し、19 世紀にはポーランド文化復興の中心となりました。第二次世界大戦では旧市街は基本的に破壊を免れ、ポーランドで最も完全に保存された中世都市の一つです。1978 年にクラクフ旧市街はユネスコ世界遺産に登録され、第 1 回登録の 12 件のうちの一つとなりました。
- 中世初期ヴァヴェル丘一帯に地域的な集落が形成されました。
- 1038クラクフはピャスト朝君主の駐在地となりました。
- 1257都市特許状を獲得し、旧市街は碁盤目状に計画されて再建されました。
- 1320ヴワディスワフ 1 世がヴァヴェル大聖堂で戴冠し、クラクフは戴冠の都となりました。
- 1364カジミェシュ 3 世がヤギェウォ大学を創設しました。
- 1596ジグムント 3 世が宮廷をワルシャワへ移し、クラクフは首都の地位を失いました。
- 1795第 3 回ポーランド分割の後、クラクフはオーストリアに属しました。
- 1918ポーランドが独立を回復し、クラクフはポーランドに戻りました。
- 1978クラクフ旧市街が世界遺産名簿の第 1 回登録に入りました。
物語
この街の物語
王都クラクフ
史実 · クラクフ旧市街とヴァヴェル城
1038年から、クラクフ旧市街はポーランドの政治の中心でした。ヴァヴェル城はカジミェシュ3世(大王)の命で築かれました。1596年にジグムント3世ヴァーザが宮廷をワルシャワへ移し、王都としてのクラクフの時代は終わりました。
1257年の新しい町割り
史実 · クラクフ旧市街とヴァヴェル城
タタールの侵攻の後、クラクフは1257年に今日まで続く旧市街の町割りを定め、同じ年にマクデブルク法による都市権を得ました。現在の中央市場広場と周囲の街路は、今もおおむねこの配置を保っています。
ジグムントの鐘
史実 · クラクフ旧市街とヴァヴェル城
この鐘は1520年、ジグムント1世をたたえてハンス・ベーハムが鋳造したもので、ジグムント塔にある5つの鐘のうち最大です。重さは13トン近くあり、鳴らすには12人が必要です。特別な機会にのみ鳴らされ、国の象徴とされています。
ヴァヴェルの竜
伝説 · クラクフ旧市街とヴァヴェル城
ヴァヴェル丘の下の洞窟に竜が棲み、あたりを荒らしていたと伝えられています。広く語られる一説では、硫黄を詰めた羊を竜に飲み込ませて退治したといいますが、細部は話によって異なります。今日の竜の洞窟は丘にある石灰岩の洞窟の一つで、入口の前には現代の火を噴く竜の像が立っています。
この街から足を延ばす
この街を拠点に訪ねられる周辺の場所です。アクセスや見学のヒントは各スポットでご確認ください。



