
City guide · Samarqand
サマルカンド
ティムール朝の青い都:レギスタンとグーリ・アミール
サマルカンドはシルクロードで最も名高い町の一つです。レギスタン広場の三つのマドラサの青いタイル、シャーヒズィンダの廟の路地、ティムールが眠るグーリ・アミール廟が、中央アジアで最も壮麗なイスラム建築群をつくっています。
History
街の成り立ち
前329年、アレクサンドロス大王が当時マラカンダと呼ばれていたこの町を占領しました。1220年、チンギス・カンのモンゴル軍がサマルカンドを攻略し、町は大きく破壊されました。14世紀、ティムールはサマルカンドを帝国の首都とし、ここはイスラム学問の中心、そして「ティムール朝ルネサンス」の発祥地となりました。孫のウルグ・ベクは1417〜1420年にレギスタン広場で最初のマドラサを建て、1424〜1429年には天文台を築きました。2001年、サマルカンドは「文化の交差路」として世界遺産に登録されました。
- 前329年アレクサンドロス大王がマラカンダを占領
- 1220チンギス・カンがサマルカンドを攻略
- 1370年頃ティムールが帝国の首都とする
- 1417–1420ウルグ・ベク・マドラサ完成
- 1424–1429ウルグ・ベク天文台完成
- 2001世界遺産に登録
Stories
この街の物語
伝説 · ウズベキスタンのプロフ
アレクサンドロスが伝えたプロフ?
アレクサンドロス大王がプロフを古代ソグドの町サマルカンドに伝えたという話が民間に伝わり、彼の兵士たちがバクトリアとソグドのプロフの作り方をマケドニアに持ち帰ったという説もあります。考古学者ジョン・ボードマンは、これらの話はすべて後世のこじつけだと考えています。
史実 · サマルカンド・グーリ・アミール廟
孫のために建てた廟が、祖父と孫の三代が眠る場所に
1403年、ティムールの後継者で最もかわいがっていた孫のムハンマド・スルタンが急死し、ティムールは彼のために廟を建てるよう命じました。2年後にはティムール自身もここに葬られ、その後、息子のシャー・ルフとミーラーン・シャー、孫のウルグ・ベクもここに埋葬されました。ウルグ・ベクの治世には、祖父の墓の上に深緑色の玉石が一枚丸ごと置かれました。
伝説 · サマルカンド・グーリ・アミール廟
ティムールの呪い
1941年6月19日、ソ連の人類学者ゲラシモフがティムールの墓を開けて遺骨を調べ、頭蓋骨をもとにその顔を復元しました。伝説では、棺には「わが墓を開く者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つだろう」と刻まれていたといいます。ゲラシモフの周りの人々はこれを作り話だと言いましたが、偶然にも、棺を開けた3日後にナチス・ドイツがソ連に侵攻しました。
史実 · サマルカンド・レギスタン広場
天文学者の王のマドラサ
ティムールの孫ウルグ・ベクは1417年から1420年にかけてレギスタン広場にマドラサを建て、イスラム世界の天文学者や数学者を招いて講義をさせました。1424年から1429年には天文台を建て、星表を編纂しました。学問に打ち込んで政治をおろそかにした彼は、1449年に息子アブドゥッラティーフに倒され、殺されました。広場のほかの二つのマドラサは、200年後の17世紀になってから建てられたものです。
Local life
食と地元の暮らし
Before you go
サマルカンドで気をつけたいルール
ウズベキスタン:両替は正規の窓口だけで
- 公式の両替所で両替し、地方へ行く前に大都市で現金を用意しておく
- 闇市場で両替する
闇両替は違法です。
確認済み 2026-10-19出典:GOV.UK:ウズベキスタン渡航情報
ウズベキスタン:パスポートは常に携帯
- パスポートの原本を常に持ち歩く
- パスポートをホテルに置いたままにする
法律で携帯が義務づけられており、警察がよく確認します。持っていないと罰金や逮捕の対象となることがあります。
確認済み 2026-10-19出典:GOV.UK:ウズベキスタン渡航情報
ウズベキスタン:撮影してよいか先に確認する
- 空港、国境検問所、軍の施設、橋、警察署、地下鉄駅の近くでは撮影前に尋ねる
- 政府の建物を撮影する
当局の不興を買うことがあります。国旗、食べ物、習慣を軽んじる内容をSNSに投稿すると、罰金や拘束の対象となることがあります。
確認済み 2026-10-19出典:GOV.UK:ウズベキスタン渡航情報

.png?width=400)




