
都市ガイド · 武汉 Wuhan
武漢
二つの川が出会う三鎮:黄鶴楼、東湖、漢口の街の朝ごはん
武漢は湖北省の省都で、長江と漢江がここで合流し、武昌・漢口・漢陽の三鎮が川を隔てて向かい合っています。2〜3日あれば、黄鶴楼・湖北省博物館・東湖緑道・漢口の旧租界風情区を巡り、長江フェリーに乗って両江四岸の夜景を楽しむことができます。武漢の魅力の半分は名楼と博物館に、もう半分は朝の「過早(朝食)」と江灘の夕風にあります。 市内では、ほかに東湖風景区、武漢大学、江漢関博物館、晴川閣、古琴台、帰元禅寺、曇華林、戸部巷、武漢長江大橋、辛亥革命武昌起義記念館、木蘭山も訪ねる価値があります。
歴史
街の成り立ち
武漢地域の都市の起源は、約3500年前の商代の盤龍城遺跡にさかのぼります。後漢末、劉表は江夏太守の黄祖に命じて今の漢陽一帯に却月城を築かせました。223年、東呉の孫権は武昌の蛇山に夏口城を築き、城西の川辺に黄鶴楼を建てました。当初は軍事用の見張り楼でしたが、唐宋以後は文人が登って詩を詠む名楼となりました。元代の至元18年(1281年)、武昌は湖広行省の省治となりました。明代には楚王が武昌に封じられ、都市はさらに拡張されました。明の成化年間に漢水が流路を変え、漢口鎮は漢陽から分離し、清代には中国四大名鎮の一つに数えられました。1911年、武昌起義がここで勃発しました。1927年、武昌・漢口・漢陽の三鎮が合併して「武漢」となり、中国初の直轄市となりました。1957年、武漢長江大橋が開通し、長江初の公鉄両用橋となりました。
- 商代盤龍城遺跡、武漢の都市の起源、約3500年前。
- 223孫権が夏口城を築き、黄鶴楼を建てる。
- 1281武昌が湖広行省の省治となる。
- 明代楚王が武昌に封じられ、都市が拡張される。成化年間に漢水が流路を変え、漢口鎮が分離する。
- 清代漢口が中国四大名鎮の一つとなる。
- 1911武昌起義が勃発する。
- 1927武昌・漢口・漢陽の三鎮が合併して武漢となる。
- 1957武漢長江大橋が開通する。
- 1985現在の黄鶴楼が蛇山の別地に再建され落成する(元の場所は長江大橋の引橋の起点に選ばれたため)。
物語
この街の物語
越王勾践剣の出土
史実 · 湖北省博物館
1965年12月、考古学者が湖北省江陵の楚墓から越王勾践剣を発掘しました。長さ約55.6センチメートルの剣は二千年以上を経ても錆びておらず、今も博物館で最も注目される展示品の一つです。
一つの鐘で二つの音
史実 · 湖北省博物館
1978年、随県(現在の随州)の曾侯乙墓から1万5000点を超える文物が出土し、その中に完全な一組の編鐘がありました。どの鐘も打つ場所によって二つの異なる音を出し、鐘に施された金象嵌の銘文には音律の知識が記されています。
崔顥と李白の黄鶴楼の詩
史実 · 黄鶴楼
唐の崔顥の「黄鶴楼」と、李白が孟浩然を見送った詩は、いずれも後世に伝わる名作で、黄鶴楼の文化的な地位を築きました。孫権が223年に楼を建てたという説は、のちに編まれた『元和郡県図志』によるもので、同時代の確かな証拠ではありません。
鶴に乗った仙人
伝説 · 黄鶴楼
仙人の王子安が黄鶴に乗って蛇山から飛び去り、人々が彼をしのんで楼を建てたと伝えられています。また、費禕が仙人となって黄鶴に乗り、たびたび蛇山で休んだという伝説もあります。二つの話は、それぞれ『南斉書』州郡志と『太平寰宇記』に見えます。


