
偽満皇宮博物院
伪满皇宫博物院 · 中国・吉林省長春市寛城区
満洲国の時代に溥儀が暮らし、執政した宮廷の跡です。勤民楼、緝熙楼、同徳殿の三つの主要建築には、中国式、日本式、西洋式の様式が融け合っています。
出かける前に · Know before you go
- 館内で大声で話すこと
- 展示品に触れること
- 撮影禁止の場所で撮影すること
この記事は「未確認」です。料金・営業時間・日程は公式の発表をご確認ください。
物語と人物
物語と人物
史実
「塩宮」という呼び名
この宮廷の建物群は、もともと吉林・黒龍江両省の塩務を管轄した吉黒榷運局の官庁でした。そのため人々から「塩宮」と呼ばれました。1932年に溥儀が移り住んだ後、旧官庁をもとに少しずつ増築されました。
史実
住まわれなかった同徳殿
同徳殿は宮内で最大の建物で、1938年末に完成し、日本側が溥儀のために建てたものです。溥儀は殿内に盗聴器が仕掛けられていると疑い、最後まで移り住まず、引き続き緝熙楼で暮らしました。
史実
9時10分で止まった時計
1945年8月11日の夜、溥儀はこの宮廷を去りました。記録によれば、興運門の時計はそのとき9時10分で止まったといいます。
文化
文化と習慣
文化的な背景
偽満皇宮博物院は吉林省長春市寛城区にあり、長春市の北東部に位置します。清朝最後の皇帝溥儀は、1932年から1945年までここで暮らし、執政しました。満洲国は日本が擁立した傀儡国家で、溥儀は名目上の元首でしたが、実際には日本側の支配下に置かれていました。 宮廷は政務を行う外廷と日常生活を送る内廷に分かれ、勤民楼、緝熙楼、同徳殿が三つの代表的な建築で、中国式、日本式、西洋式の様式が融け合っています。園内には築山、池、プール、テニスコートなどの付属施設もあります。1987年公開の映画『ラストエンペラー』の撮影もここで行われました。 この建物群は、もともと吉林・黒龍江両省の塩務を管轄した吉黒榷運局の官庁でした。1932年に溥儀が移り住み、1934年3月に勤民楼で即位式を行いました。1945年8月にソ連が対日参戦すると満洲国は崩壊し、溥儀は逃亡の途中でソ連軍に捕らえられました。1962年に跡地は偽皇宮陳列館となり、1982年からは吉林省博物館の収蔵品で展示が拡充されました。2001年に現在の名称に改められ、2004年に全面的に修繕されました。現在は国家5A級観光地です。
地元の習慣
まず外廷の政務区、次に内廷の生活区の順に見学されることをおすすめします。勤民楼では溥儀の執務と接見の様子を再現した展示を、緝熙楼では起居と家族の調度を、同徳殿では玉座と宮廷用品をご覧いただけます。園内の築山と池、プール、テニスコートなどの付属施設の遺構もあわせてご覧いただけます。
マナーとタブー
マナーとタブー
してはいけないこと DON'T
- 館内で大声で話すこと
- 展示品に触れること
- 撮影禁止の場所で撮影すること
地元の人に喜ばれること DO
- 歴史展示は静かに見学すること
- 撮影の可否は館内の案内に従うこと
- 解説を聞いて歴史的背景を知ること
旅の計画
実用情報
旅のヒント
- 開館時間は夏期と冬期で異なりますので、公式サイトでご確認ください。半日ほどを見込まれることをおすすめします。館内には解説サービスがありますが、詳細は現地でご確認ください。
- 長春市内からはバスで偽満皇宮一帯へ行くか、地下鉄からバスに乗り換えてお越しください。具体的な路線は現地のバス案内でご確認ください。展示は主に屋内ですので、冬を含め一年中見学に適しています。
写真
写真

xiquinhosilva · CC BY 2.0

MChew · Public domain



