サラエボ旧市街

サラエボ旧市街

萨拉热窝老城 · ボスニア・ヘルツェゴビナ・サラエボ

写真:Pudelek (Marcin Szala) · CC BY-SA 3.0

バシュチャルシヤの旧市場を中心に、木造のセビリの泉、手仕事の銅細工通り、ガーズィー・フスレヴベグ・モスク、ラテン橋北端の 1914 年の暗殺現場がすべて徒歩圏内にあり、数歩のうちにオスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国、二つの時代の街並みを見ることができます。

出かける前に · Know before you go

  • 礼拝中に祈りの場所を歩き回ったり撮影したりすること
  • 1990 年代の戦争について軽々しく論じること

この記事は「未確認」です。料金・営業時間・日程は公式の発表をご確認ください。

物語と人物

物語と人物

伝説

セビリの水を飲めば

現地には、セビリの泉の水を飲んだ人はいつか必ずサラエボに戻ってくる、という言い伝えがあります。この木造の泉はバシュチャルシヤ広場の中央に立ち、旧市場の象徴となっています。

出典:ウィキペディア:セビリの泉(サラエボ)

史実

ラテン橋のそばの銃声

1914 年 6 月 28 日の午前、フェルディナント大公夫妻の車列はラテン橋の近くで道を曲がり間違え、運転手が停車して後退しようとしたとき、車はちょうどガヴリロ・プリンツィプのすぐ近くで止まりました。プリンツィプは至近距離から発砲し、大公妃ゾフィーは総督公邸に着いたときにはすでに亡くなっており、大公も約十分後に息を引き取りました。この暗殺は七月危機を引き起こし、約一か月後、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦しました。

出典:ウィキペディア:サラエボ事件;ウィキペディア:ラテン橋

史実

一本の線が分ける二つの街

1878 年にオーストリア=ハンガリー帝国がボスニアを占領すると、旧市場の西側にヨーロッパ風の新しい街を別に築きました。二つの街は一つに溶け合うことなく並び立ち、その境目の路面には「文化の出会い」を示す線が埋め込まれています。セビリの泉から西へ歩いてこの線を越えると、オスマン式の低い店先が、オーストリア=ハンガリー時代の集合住宅やカフェのテラスに変わります。

出典:Explore Sarajevo:サラエボ建築散策ガイド

文化

文化と習慣

文化的な背景

サラエボ旧市街は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボのスタリ・グラード地区にあり、ミリャツカ川に沿って広がっています。中心はバシュチャルシヤの旧市場で、広場の中央には木造のセビリの泉が立ち、銅細工通りでは今も工房が手作業で銅器を打ち出しています。ガーズィー・フスレヴベグ・モスクの中庭には清めの泉があり、近くには時計塔がそびえています。 旧市場の起源は 1462 年で、オスマン帝国の総督イサベグ・イサコヴィッチによって築かれました。名前はトルコ語に由来し、「主要な市場」という意味です。16 世紀には職種ごとに名付けられた手工業の通りが約 80 本あり、銅細工通り、鞍職人通り、金細工通りなどがありました。度重なる地震と火災(とくに 1879 年の大火)を経て、19 世紀末には旧市場は 16 世紀の規模の約半分にまで縮小し、残った中心部はセビリの泉一帯に集まっています。 ガーズィー・フスレヴベグ・モスクは、オスマン帝国のボスニア総督ガーズィー・フスレヴベグの出資により、1530 年に着工し、1531 年に完成しました。建築家はペルシャ系のアジェム・エシル・アリとされるのが一般的ですが、文献上の根拠は多くありません。ボスニア・ヘルツェゴビナに現存する最大の歴史的モスクであり、バルカン半島を代表するオスマン建築の一つです。当時このモスクを中心に築かれた宗教・公共施設群には、神学校、貧者のための給食所、時計塔、創建者の霊廟、屋根付き市場も含まれていました。 セビリの泉は、オスマン帝国の総督メフメト・パシャ・クカヴィツァによって 1753 年に初めて造られ、のちに火災で失われました。現存する木造の建物は、建築家アレクサンダー・ヴィテクによって 1891 年に再建されたものです。ラテン橋はミリャツカ川に架かるオスマン時代の石橋で、橋の北端は 1914 年 6 月 28 日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が暗殺された場所です。この事件は七月危機を引き起こし、最終的に第一次世界大戦の勃発につながりました。橋のそばには現在、記念のプレートがあります。 サラエボは「ヨーロッパのエルサレム」と呼ばれることもあり、モスク、正教会、カトリック教会、ユダヤ教の会堂が旧市街に近接して建っています。

地元の習慣

セビリの泉から出発し、まず銅細工通りで職人が銅の盆やコーヒー器具をその場で打ち出す様子を見てから、サラチ通りを西へ歩きます。ガーズィー・フスレヴベグ・モスクの中庭に入り、清めの泉と時計塔をご覧ください。ラテン橋の北端では記念のプレートを見ることができます。老舗のカフェに腰を下ろしてボスニアコーヒーを一杯味わい、セビリの泉のそばの広場で鳩に餌をやるのもおすすめです。

マナーとタブー

マナーとタブー

してはいけないこと DON'T

  • 礼拝中に祈りの場所を歩き回ったり撮影したりすること
  • 1990 年代の戦争について軽々しく論じること

地元の人に喜ばれること DO

  • モスクに入る前に靴を脱ぐこと
  • 肩と膝を覆う服装
  • 女性はモスクの求めに応じてスカーフを用意すること
  • 地元の方、とくに露店の店主を撮影する前に声をかけること
  • 宗教施設では静かに過ごすこと

旅の計画

実用情報

旅のヒント

  • 旧市街の中心部は徒歩での散策が基本で、石畳がでこぼこしていますので、滑りにくい平底の靴でお出かけください。モスクや一部の屋内施設の開館予定は、公式の発表に従ってください。夏は日差しが強いため、水と日よけ用品をお持ちください。冬は路面が凍ることがあり、雪の後の石畳はとくに滑りやすいので、足元にご注意ください。市場が混雑しているときは、貴重品を身に付けて手荷物にご注意ください。
  • 旧市街は市の中心部にあり、路面電車で旧市街の端まで行けますので、下車後は歩いて市場に入ります。市内のほかの場所からはタクシーやバスでも行くことができますが、路線は現地の最新情報をご確認ください。車でお越しの場合は旧市街の外側の駐車場に停めてください。中心部は車で通り抜けるのに適していません。春の終わりと初秋は気候が穏やかで市場も最もにぎわうため、徒歩での観光に最適です。夏は日中が暑いので、朝夕の外出がおすすめです。冬は寒くなりますが、旧市街のカフェや屋内施設はふだん通り利用できます。

写真

写真

出典と確認についての説明

ウィキペディア:バシュチャルシヤ

ウィキペディア:ラテン橋

ウィキペディア:サラエボ事件

Explore Sarajevo:サラエボ建築散策ガイド

Evendo:バシュチャルシヤ

ウィキペディア:セビリの泉(サラエボ)

ウィキペディア:ガーズィー・フスレヴベグ・モスク

ウィキペディア:サラエボ