
日本神話 · 妖怪譚/民俗誌
『遠野物語』:河童と座敷童子
1910年の一冊の採風の小書が、一つの山村の河童、座敷童子、山人を、全日本の共通の記憶に変えた。
伝説と物語
遠野の川辺には河童淵がある。河童は頭の皿に水を盛り、体は蛙のように緑で、悪戯が大好きである。馬の脚を引いて水に入れ、胡瓜を盗み、人と相撲を取る。伝説では、ある家で馬が河童に淵へ引き入れられ、馬が驚いて岸に駆け上がると、河童はかえって馬小屋まで引きずられ、主人に刀で問い詰められて、この家の馬には二度と害をしないと誓った——誓約型の河童は、遠野らしい温和さである。『遠野物語』によれば、河童の子が人家に生まれると、土に埋められるという(陰惨な棄児の叙事で、学者は多く旧時の貧困の影として読む)。座敷童子は家の中に住む。大きな屋敷の座敷(客間)では深夜に紙の音や糸車の音が伝わり、子どものような姿が一瞬過ぎる。彼女(一説では女童)を見た家は栄え、彼女が去れば家道は衰える——ある家では童子が去った後、一家が食中毒で死に、一人だけが残った。また狐に憑かれた家族、早池峰山の女神、寒戸村の山人……柳田国男は序文に書いた。これらの話を平地の人に語って、彼らをぞっとさせたいと。遠野の妖怪は化け物退治のレベル上げをしない。ただ人と同じ屋根の下に住み、同じ川の水を飲むだけである。
物語の起源
『遠野物語』は1910年に自費出版され、柳田国男が聞き書きし、遠野出身の佐佐木喜善(鏡石)が口述した。全119話で、日本民俗学の礎の作と公認されている。河童の姿は江戸時代にすでに全国化し(水虎の画像システム)、遠野版は本書によって定型化した。座敷童子の「家を興し、去れば家が衰える」構造は東北地域の座敷童子信仰(岩手二戸など)と相互に参照し合い、本書が最も有名なテキストの源頭である。
風習
河童淵の水辺では本当に鉤を投げて「河童」を釣って水生生物を傷つけず、体験用の竿はそのルールに従うこと。伝承園のオシラサマは農家の信仰の対象であり、触れたり、真似をしたりしないこと。曲家は民居の遺構であり、靴を脱ぎ、未開放の間仕切りに入らないこと。山村の夜道には照明がなく、深夜に単独で川辺へ「妖を探し」に行かないこと。
実際に訪ねられる場所
岩手県遠野市の河童淵(常堅寺の裏の小川、河童像と河童釣り体験、河童捕獲許可証は遠野観光協会の趣向の文化観光商品)。遠野物語の里(遠野市立博物館、遠野物語館/昔話蔵、柳田国男の旧居展示)。伝承園(白衣観音とオシラサマ千体の供奉)。南部曲家(馬と人が同居するL字形の民居、菊池家曲家など)。各館の開館日と解説の回は毎年公式発表を基準とする。
写真の出典 · 663highland · CC BY 2.5
