戦国時代 · 1497–1571

毛利元就

毛利元就 · 日本

毛利氏の勢力を築いた安芸国の大名

戦国時代中期から後期の安芸国大名。毛利氏の家督で、中国地方(山陽・山陰一帯)の統一者。安芸一国の小領主から出発し、最終的に中国地方の約十国を支配し、戦国の「小よく大を制す」の典型となった。

人物と物語

生涯の足跡

安芸国鈴尾城(母方の故郷)に生まれる。父毛利弘元は1500年に隠退し、1506年に没した。兄興元の死後、1523年に甥幸松丸の死を受けて家督を継いだ。拠点は吉田郡山城(現在の広島県安芸高田市)。1540年の吉田郡山城の戦いで尼子軍に勝利し、1555年の厳島の戦いで陶晴賢に勝利して大内氏の領地を一挙に継承し、1566年に月山富田城を攻め落として尼子氏を滅ぼした。最終的に安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・伯耆・出雲・石見など約十国を支配し、ほかに豊前・讃岐の一部にも及んだ。晩年は大友氏と議和して博多の支配権を放棄し、反信長包囲網への加入を拒否した(1570年以降の足利義昭の勧誘にも応じなかった)。1571年に吉田郡山城で病没し、死因は食道癌説と老衰説がある。

  • 出生地:安芸国鈴尾城(現在の広島県一帯)。
  • 活動地:吉田郡山城(現在の広島県安芸高田市)、厳島(現在の広島県廿日市市宮島)、月山富田城(現在の島根県安来市)。
  • 死没地:吉田郡山城。
  • 埋葬地:吉田郡山城址付近(毛利元就墓)。
  • 参考地:厳島神社、吉田郡山城址、広島城(毛利氏の後裔輝元が築城し、元就の時代と関連する)。

文化的意義

元就は謀略家の象徴である。厳島合戦の少勢による勝利、「三本の矢」の教子伝説(父が三本の矢で三子の団結を諭したという話は有名な後世の教子伝説であり、確証ある史実として扱ってはならない)が今日まで伝わる。「乞食王子」(Beggar Prince)の綽名は同人資料に見られるものであり、慎重に扱うべきため、本稿では採用しない。安芸高田市は毛利の故郷を都市ブランドとし、吉田郡山城址と毛利元就墓が関連の観光地である。

物語の舞台

ゆかりの地を訪ねる

史実 · 月山富田城跡

月山富田城跡の歴史をたどる

月山富田城は尼子氏の本城で、難攻不落で知られ、戦国五大山城の一つに数えられる。大内氏・毛利氏も力攻めでは落とせなかった。

史実 · 吉田郡山城跡

吉田郡山城跡の歴史をたどる

吉田郡山城は毛利氏の本城で、毛利元就はここを拠点に勢力を拡大した。

伝説 · 吉田郡山城跡

毛利元就の三本の矢

三本の矢の話は、毛利元就が三人の息子に団結を説いた逸話として知られています。安芸高田市の資料も伝承として紹介しており、教え諭した場面を確証ある史実としては扱えません。

出典